敦賀駅から敦賀港まで敦賀の街を歩く
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北陸新幹線が延伸し、今年の春に金沢からの区間が開業した敦賀。そんな福井県の敦賀の街を訪れ、福井市の方へ向かうハピラインふくい線、小浜や舞鶴の方へと向かう小浜線、大阪や名古屋へ向かう特急列車、そして北陸新幹線が乗り入れる 敦賀駅から敦賀港までを歩いてきました🚶
まず訪れたのは敦賀駅。北陸新幹線や特急列車が発着するホームから、海に近いほうの出口である西側の「まちなみ口」へは、エスカレーターを 2 本と動く歩道を乗り継いで移動する必要があり、なかなか距離があります。高さ約 37 メートルもある巨大な駅舎には、北陸新幹線開業の大きな案内が貼られていました。
駅前にはまだ新しさを感じるバスターミナルや商業施設が。黒を基調としたモダンな雰囲気で、なかなかおしゃれな感じ。観光案内をされているガイドの方らしき姿が数名見られ、大きなキャリーバッグを持った観光客の方に道案内をされていました。
敦賀駅の「まちなみ口」を出て、その正面からまっすぐに伸びる 「駅前ゆめさき通り」と書かれた大通り を歩いていきます。この道は「敦賀シンボルロード」という名前が付けられているそうで、少し進んだ先の交差点を右に曲がって国道 8 号に入り、まっすぐ進んだところにある氣比神宮まで続いているようです。
シンボルロード沿いには 「銀河鉄道 999」と「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメントが多数設置 されていました。敦賀にはかつて、東京と敦賀港を結ぶ「東亜国際連絡列車」という列車が走っていたそう。そんな鉄道と港のまちだった敦賀で、1999 年に敦賀開港 100 周年を記念して設置されたのが、これらのモニュメントだそうです。
そんなモニュメントを見ながら敦賀シンボルロードのアーケードを歩いていくと、正面に見えてきたのはアル・プラザ敦賀。この交差点を右に曲がり、ここからは国道 8 号を歩いていきます。
国道 8 号に入ってからも、モニュメントが設置された敦賀シンボルロードのアーケードは続いています。天気予報では雷雨となっていたこの日、敦賀へとやってくると空は雲ひとつない快晴。気温は 35 度を超える猛暑日でしたが、つよい日差しを遮ってくれる屋根があるおかげで歩きやすかったです。
しばらく真っ直ぐ歩いて、正面に見えてきたのは 氣比神宮。日差しを遮ってくれたアーケードとはここでお別れです。
氣比神宮には大勢の観光客の姿があり、その大半が外国人と思われる方々。東京や大阪、京都などと比べると知名度の低い敦賀にこれだけ外国人観光客が居るというのは、やはり新幹線の効果なのでしょうか。
氣比神宮の前を通り、国道 8 号とお別れして港の方へと伸びる道路へ。刺すような日差しに焼かれながら歩いていくと、見えてきたのはなんとも特徴的な形をした円柱状の建物。こちらは きらめきみなと館 というコンサートやイベントなどを行う文化施設だそう。その隣には、船の帆をモチーフにしているというモニュメントが設置されていました。
そして海を挟んだ向こう側には、めちゃくちゃ巨大な船の姿が。調べてみるとこの船は 「ダイヤモンド・プリンセス」という船 で、正真正銘の豪華客船。10 日間かけて本州を一周する旅の途中のようでした。
本当に偶然なのですが、2024 年だとこの日にやって来たこの船だけが敦賀港を訪れる唯一のクルーズ船。見ることが出来て良かった。もしや各所で外国人の方をめちゃくちゃよく見かけたのは、この船がいたから…?
敦賀駅を出発してから、この敦賀港のあたりまでは歩いておよそ 30 分ほど。途中までは日差しを遮るものがありましたが、それでも高い気温はなかなか厳しく、涼むついでに近くにあった 敦賀鉄道資料館 という施設に入りました。
入り口にはなにやら可愛い女の子のキャラクターが。決して可愛い子に釣られて入ったわけではない。断じて。信じてくれ。
この敦賀鉄道資料館は、かつて走っていた 欧亜国際連絡列車の敦賀港駅舎を再現したもの だそう。明治 45 年から東京・新橋からこの敦賀港の間で運行されていた欧亜国際連絡列車は、ロシアのウラジオストクへと向かう船に連絡。ウラジオストクからは、シベリア鉄道を経由してヨーロッパへと通じていたそうです。
入り口に居た子は「直往邁進!パワー系主人公」らしい。パワー系て。カバンに詰め込まれているのは福井名物の越前ガニだそう。
これまで特急列車で通り過ぎるだけだった敦賀の街を初めて歩きましたが、思っていたよりも観光客で賑わっていましたし、見どころも多くて良かったです。
ところで敦賀鉄道資料館にいた可愛い子の名前がウェブサイトに乗ってないんだけど、なんて名前なんだ。誰か教えやがれください。