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日本三名園のひとつ岡山後楽園へ行ってきた

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ひらたけ

日本三名園のひとつである 岡山県にある後楽園へ行ってきました🌳 国の特別名勝に指定されている日本庭園である後楽園は、江戸時代初期に岡山藩主である池田綱政によって造営されたもの。そんな歴史ある岡山の後楽園へ行き、園内の景色を楽しんできました。

後楽園があるのは、山陽新幹線も停車する JR 岡山駅から東へ 1km ほどの場所。駅からはバスが多数出ているほか、近くまで路面電車も通っていて、徒歩でも 30 分ほどとアクセスも良好。

後楽園の正門の写真

入り口近くにはチケットを販売する窓口があり、こちらでチケットを購入してから園内へと入ります。有人の窓口だけでなく、各種キャッシュレス決済が利用可能な自動券売機も設置されていました。

入園料は、後楽園のみのチケットであれば 500 円。近くにある 岡山県立博物館 との共通券であれば 600 円、同じく近くにある 岡山城 との共通券であれば 720 円となっていました。3 つとも行く場合は、岡山県立博物館の入館料が 250 円、岡山城の入場料が 400 円なので後楽園と岡山城の共通券を購入するのがお得そうです。

後楽園の写真

正門をくぐり道なりに歩いていくと、きれいに整備された広い芝生が広がっていました。芝生の中には淡い色の歩道が通されていて、沢の池という大きな池も造られています。生い茂る木々の奥には、烏城とも呼ばれる外壁が黒塗りの下見板で覆われた岡山城の姿が見えます。

私は出身が石川県ということもあり、同じ日本三名園のひとつである 兼六園 へは何度も訪れたことがあるのですが、同じような景色を想像していたのでこのように広い芝生が広がっている景色というのが完全に予想外。

あと、いつもどんよりとした雲が空を覆っている金沢とは違い、青空の下に緑が広がっているというのもなんだか新鮮に映りました。

後楽園の延養亭の写真

芝生の向こうに見えるのは延養亭という建物。岡山藩主が後楽園を訪れたときの居間として使われたものだそうで、園内外の景観が一望できる後楽園の中心的な建物とのこと。何百年も昔の人もここから景色を見ていたんだなと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。

現在の延養亭は、戦災で消失した後の昭和 35 年に復元されたもの。当時第一級の木材と技術で復元に当たったそうです。

後楽園の能舞台・栄唱の間の写真

延養亭の奥には能舞台があり、能に熱心であった岡山藩主・池田綱政はこの場所で家臣や領民に能を見せていたのだとか。こちらの建物も、戦後に再建されたものとのこと。

後楽園の花葉の池の写真

園内には広い芝生が広がっている空間だけでなく、自然豊かな場所も存在。能舞台の近くにある花葉の池という池があり、いかにも日本庭園といった雰囲気。6 月~ 8 月頃には大輪の白い花を咲かせる「一天四海」が見頃となり、大変美しい光景が見られるそうです。

その奥には二色が岡という林があり、自然が感じられます。築庭当時はサクラやモミジで彩られた林だったそうですが、戦後に杉を中心とした林になったそう。現在築庭当時の姿を再生するために山桜や楓などの植栽が進められており、令和 6 年度に完了予定とのこと。

後楽園の二色が岡の写真

林を抜けてぐるりと園内を歩いて見えてきたのは廉池軒という建物で、なんだか非常に風情のある外観をしています。訪れたタイミングでは、こちらの建物で「備前焼おもしろハンコ展」というイベントが開催されていました。絵てがみ、書、画用のハンコや備前焼でできた珍しいハンコの展示や販売を行うイベントとのことでした。

ウェブサイトにあるイベントカレンダーを見てみると結構様々なイベントが園内で開催されているようで、ただ景色を楽しむだけの場所ではないのだなーと感心。興味のあるイベントが開催されているタイミングを狙って後楽園を訪れるのも楽しそうです。

後楽園の廉池軒の写真

園内には鶴舎という施設もあり、その中ではタンチョウという鳥が飼育されていました。元々は施設の名前の通り鶴が飼育されていたそうですが、戦後に絶滅。その後、岡山の旧制第六高等学校に学んだことのある中国科学院院長からタンチョウ 2 羽が贈られ、釧路市の協力もあってその美しい姿が園内によみがえったそう。

飼育されているタンチョウにはそれぞれ名前が付けられていて、名前や生年月日が書かれた看板が設置されていたので見てみたところ、自分よりも年上のタンチョウもいてびっくり。思わず頭を下げるなどしました。

後楽園の鶴舎の写真

後楽園には全体的に広い芝生が広がっていますが、実は築庭当時は延養亭から見える範囲だけに芝が使われ、それ以外の大半は田畑が広がっていたそう。沢の池のそばの一画に「井田」という、田畑が広がっていたなごりがありました。

井田とは中国周時代の田租法で、幕末に田畑の一部をこの形に作ったそう。毎年初夏にはお田植え祭りを行い、もち米を育てていると説明がされていました。

後楽園の井田の写真

後楽園の園内をうろうろと散策していると感じるのは、本当に広いということ。面積は 14.4 ヘクタールあり、日本三名園の中では最も面積が広いっぽい。園内をくまなく見て回ろうとすると、時間と体力がかなり必要になりそうです。

後楽園の唯心山からの景色の写真

最後に訪れたのは、園内に築かれた唯心山という築山。後楽園を造らせた池田綱政の子である継政が作らせた約 6m の築山で、広い園内を見渡すことのできる場所。大変景色のいい場所で、後楽園を訪れた多くの観光客が頂上に集まっていました。


後楽園へ行ってきましたが、敷地の広さや広がる芝生や大きな池に圧倒されっぱなしでした。どこを見ても美しい日本庭園で、非常に良かったです。次に訪れるときは、花葉の池のハスが咲く季節など、また違う時期に訪れたいです。