日本三大仏のひとつ高岡大仏を見に行ってきた
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日本三大仏に数えられる、銅器の町高岡の象徴的存在である 高岡大仏を見に行ってきました🛕 奈良の東大寺にある大仏と鎌倉の高徳院にある大仏に並ぶ、日本三大仏の最後の一枠には諸説あるようですが、高岡の街へ多くの人が参拝に訪れる大仏を見に行ってきました。
高岡大仏があるのは大佛寺というお寺。あいの風とやま鉄道の高岡駅から歩いて 10 分ほどの場所にあり、旗を持った方を先頭にしてぞろぞろと歩いてこられたツアー客と思われる集団や、記念撮影をしている若い女性のグループにカップルなど、思っていたよりも参拝客は多め。
大佛寺の境内の入り口あるのは、ちょっと怖い感じの像。参道入り口の両脇に安置されているのは 2 体の仁王像で、開口の阿形像は怒りをあらわにした表情、口を結んだ吽形像は怒りを内に秘めた表情で、寺院内に仏的が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表しているそう。
境内入り口からまっすぐに伸びる参道の先には、高さ 16m の高岡大仏の御姿が見えます。この銅造阿弥陀如来坐像が造られたのは 1933 年と比較的新しめではありますが、その起源は 1221 年にまで遡ります。承久の乱を避けた源義勝が、近くにそびえる二上山の麓に木造の大仏を造営したのがはじまりだと伝えられているとのこと。
その後、加賀前田家二代当主の前田利長が高岡を開町してその城下に移され、1745 年に木造大仏が再建されたものの 1821 年に焼失。1841 年に木造大仏が再建されたものの、これも 1900 年の大火で焼失してしまったそう。
何度も焼失してしまった高岡大仏は、1905 年にこれまでの木造大仏ではなく銅製の大仏を建立することが決定され、鋳造から着色までの全工程を担った高岡の銅器職人の方々の献身と市民の浄財によって完成したのが現在の高岡大仏とのこと。何度も新しい大仏を造り続けたというところに、地域の信仰のあつさを感じられます。
大仏の台座の下には入り口があり、中へ入ると円形の回廊沿いにいくつもの絵画が展示されています。こちらは 1952 年当時の高岡在住の日本画家が制作した仏画だそう。また、1900 年の大火での類焼をかろうじて免れた二代目高岡大仏のご尊顔と言われている仏頭が安置されていました。
雪の降る中見に行った高岡大仏でしたが、見上げるような大きさで高岡に住む人々の祈りや願いといったものが感じられました。次から次へと、若い方からお年寄りまで様々な人が訪れていたのも驚きでした。出来栄えの素晴らしさから「日本一の美男」と言われているそうですが、たしかに整ったお顔をされている…。穏やかな時間を過ごすことができて良かったです。