幕末の薩摩を維新ふるさと館で学ぶ
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西郷隆盛や大久保利通など、維新を支えた薩摩の英雄たちのことなどが展示されている 加治屋町にある歴史観光施設「維新ふるさと館」 へ行ってきました。あまり幕末や明治時代の歴史にも詳しくないし大河ドラマとかも一切見てきていない私ですが、せっかく鹿児島の地を訪れたので行ってみようということで。
この維新ふるさと館のある加治屋町は、江戸城無血開城や新政府の樹立など明治維新に多大な功績を残した西郷隆盛や大久保利通など多数の偉人を輩出した地だそう。
鹿児島中央駅からは歩いて 10 分ほど。駅の東側にある桜島口を出て、ナポリ通りという大通りを通り甲突川に架かる南洲橋という橋を渡ってすぐのところにあります。
入館料は大人 1 名あたり 300 円。今回私は事前に「CUTE」という鹿児島市営バスや市電、桜島フェリーなどが乗り放題になるチケットを購入していたのですが、こちらの提示で 240 円で入館することができました。CUTE と一緒に手渡されたガイドマップに維新ふるさと館のことが載っていたから来たみたいなところもある。
受付で、この後すぐに地下の維新体感ホールにて加治屋町から始まる維新の英雄のドラマ『維新への道』の上映が始まると教えていただき、急いで階段を降りて向かいます。
この『維新への道』は幕末から明治にかけての歴史の流れを解説するドラマ。ホール内は撮影が NG となっていたため写真は無いのですが、映像だけでなく光や音、西郷隆盛や大久保利通など薩摩の英雄たちの等身大ロボットが動いたり何も無かったステージの真ん中にせり出してきたりと多彩な演出でなかなか迫力のある内容となっていました。
正直なところ、明治維新に関して私は学校の歴史の授業で習った以上のことは全く知らず、学校で習ったのも何年も前のことで「幕府を倒して新しい時代がやってきたんだな~」くらいのゆるい理解をしていたのですが、そこに至るまでには当然のことながら様々な出来事があり、そこをドラマを通してなんとなく知ることが出来たのは非常に良かったです。
ただ、武士たちの争いの話なので結構血なまぐさい内容ではあるのと、音が怖かったり光がチカチカと点滅したりするのがどうしても苦手な人はいるだろうなとは思いました。
今回私が見た『維新への道』の他に、薩摩藩が鎖国時代にいち早く海外へと目を向けて英国へ留学生を派遣した様子を再現したドラマ『薩摩スチューデント、西へ』というものも上映されているそうです。
ドラマを見た後は館内を見て回ります。展示の内容は幕末から明治にかけて活躍した方々のことが書かれたものから、NHK で放送されていたという大河ドラマ『西郷どん』のものまで様々。
薩摩藩独特の青少年教育である「郷中教育」という、武士としての心構えや体を鍛えるものを体験することができるコーナーなども用意されていて、見るだけでなく実際に体を動かすことができるなど工夫が凝らされてました。この郷中教育の基本となる教えは「負けるな」「弱いものをいじめるな」「うそを言うな」というものだそうで、現代を生きる私も常に心に置いておきたいものです。
日本初の洋式軍艦だという「昇平丸」という船の模型も展示されていました。こちらは薩摩藩を治めていた島津家 28 代当主・島津斉彬が、西欧列強に対抗するために藩士田原直助に命じてオランダ造船書を研究させて建造されたもの。
船には日の丸の旗に加え、白地黒丸に十文字が描かれた薩摩藩の藩旗が掲げられています。鹿児島の街を歩いているとよく丸に十文字が描かれたマークをよく見るなと思っていたのですが、鹿児島市では日本の黎明期に多くの功績を残した薩摩藩主「島津家」の紋章「丸に十の字」と「市」の文字を図案化したものを市章として使用しているそう。
薩摩藩では船だけでなく様々なものが研究され、モールス電信機もそのひとつ。島津斉彬の命令で研究にあたり 1857 年に鶴丸城での実験に成功。明治維新後の日本の電信事業創設の基礎となったそう。この電信を応用した地雷や水雷もつくられ、水雷は実際に薩英戦争に敷設されたとのこと。西欧列強に対抗するために様々な研究を推し進めた島津斉彬が偉大すぎる。
維新ふるさと館へ行ってきましたが、歴史に詳しくないながらもなんとなく幕末から明治にかけての日本の歴史を知ることが出来て良かったです。遠くに出かけて勉強するというのが、なんだか社会見学みたい。時間があるときに大河ドラマとか見てみようかなと思いました。