大阪が日本の首都であったことを示す史跡難波宮跡を歩く
- 投稿した日
- 更新した日
- 書いたひと
- ひらたけ
大阪を象徴する観光地のひとつ大阪城、の南側にある 難波宮跡公園へ行ってきました🌿 名前の通り、かつて存在した「難波宮」という宮殿の跡が残る公園。飛鳥時代から奈良時代にかけて、この大阪の地に都が置かれたことに思いを馳せながら、雨がしとしと降る日に園内を歩いてきました。
JR 大阪環状線と地下鉄中央線・長堀鶴見緑地線が乗り入れる森ノ宮駅から、歩いて 15 分ほど。高層ビルや高層マンションが立ち並ぶ大阪都心に広がる公園、難波宮跡公園にやってきました。
北西角の入り口には「史跡 難波宮跡」と書かれた石の看板が設置され、園内には調査や整備のための工事が行われている最中と思われる場所もちらほらと見られます。
この場所に難波宮という宮殿が作られ、日本の首都となったのは今からおよそ 1370 年ほど前。飛鳥時代に作られた難波宮は、日本で作られた最初の本格的な宮殿だったのだとか。
中心部の両側には八角形の 2 階建ての建物が建てられていたそう。公園入口近くにあった案内図に「前期八角殿院」と書かれた、おそらく当時その八角形の建物が建っていたと思われる場所には木やツタのようなもので覆われた赤い建造物の姿がありました。
その後、奈良時代に入り難波宮は建て直されることになります。その中で最も立派な建物が「大極殿」という名前の建物で、天皇が国家の公式行事を行う際に使用したとされています。大極殿があった場所には、おそらくその土台部分と思われるものが復元されていて、誰でも立ち入ることができるようになっていました。
私が訪れたタイミングでは、なにやらローラースケートのようなものを練習されている方がおられたので、邪魔にならないよう上にのぼることはしなかったのですが、上からは大阪城を眺望することができるそうです。
千年以上も前の都の跡ということで、さぞかし観光客で賑わっているのだろうと思いきや、そのようなことはなく。公園内では先述のようにローラースケートのようなものをされている方や、ラケットを持ってバドミントンやテニスの練習をしていると思われる学生さんや子供連れの方の姿、それからサッカー的な球技を楽しむ集団などが多かったです。
グラウンドやテニスコートのようなものは無いですが、原っぱが広がっているので遊び場にはちょうどいいのかも。歴史を感じさせる建造物はあるものの、普通の公園といった雰囲気です。
そんな難波宮公園ですが、この投稿が公開となる 3 月 28 日に中央大通と阪神高速を挟んだ北側のエリアが新たに開園となるとのこと。
公園内を散策した後、帰り道を歩いている途中になにやらフェンスで入れないようにしてある真新しい空間があるな、とは思っていたのですが、難波宮の歴史を発信する施設や商業施設『なノにわ』、広い芝生広場などが整備されているそう。お洒落な雰囲気の飲食店などが多数出店するみたいなので、休日にのんびり過ごすのに良さそうです。
今回歩いた公園内にはいくつかの昔の建物を復元したと思われる建造物が見られましたが、近くには特に解説が書かれた看板なども設置されておらず、公園入り口付近に設置された看板に少し説明がある程度。あまり歴史について詳しく知ることはできませんでしたが、雨の降る中で遠い昔に思いを馳せながらゆっくりとした時間を過ごせたのは非常に良かったです。
難波宮をより深く知るため、そして美味しいスイーツなどを食べながらのんびり過ごすため、近いうちに新たに開園となる北側のエリアに足を運んでみたいところです。