樺太への船が行き来していた稚内港の北防波堤ドーム周辺を歩く
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最北のまち稚内にある 稚内港北防波堤ドームのあたりへ行ってきました⚓️ 北の海にある稚内港に建設された立派な防波堤で、一般的によく見る防波堤とは異なり古代ギリシャとか古代ローマの建築物みたいな雰囲気のあるもの。そんな稚内港北防波堤ドームのあたりを歩いてきました。
稚内港北防波堤ドームは、最寄りの JR 稚内駅から歩いて 10 分かからないくらいのところにあります。駅から北へと向かって歩いていくと、遠くからでも海沿いに造られたその立派な姿が見えます。
「ドーム」という名前のとおり、半分だけではありますがアーチ型をしている稚内港北防波堤ドーム。稚内と樺太を結ぶ定期船が発着していた頃、埠頭へと通じる 道路や鉄道に波がかからないようにする目的で昭和 6 年から昭和 11 年にかけて建築された そう。
現在の稚内港北防波堤ドームは、老朽化が著しかったために 昭和 55 年に改修工事が行われたもの だそう。稚内を訪れてみて思いましたが、本当にびっくりするくらい風がつよく吹いていて、強風吹き荒れる北の海の波から何年も港を守ってきたら、そりゃあボロボロになるよなあというお気持ち。
半アーチ型をしているドームの下は自由に入ることができるようになっていて、地元の方だと思いますが、端から端まで何度も走って往復されている方やサッカーの練習なのかボールを蹴っている方がいらっしゃいました。
総延長は 427m とのことなので、往復したらだいたい 1km くらいでしょうか。防波堤が風を受け止めてくれるので、たしかにランニングとか運動とかするにはちょうど良いのかも。
古代ローマっぽい建築物を思わせる太い円柱がどっしりとアーチを支えていて、世界でも類のない建築物として注目されていたり北海道遺産なるものに指定されていたりするそう。
そんな見た目も美しい立派な防波堤に沿って歩いていくと、フリー Wi-Fi の案内看板が何箇所かに設置されていました。最近は無料で Wi-Fi を利用できる場所がたくさんありますが、こんな北の端にまで用意されているんだなと驚きました。
しばらく進んでいくと「稚泊航路記念碑」という記念碑が設置されていました。稚内の「稚」と、日本統治時代の名称が「大泊」らしい樺太にあるコルサコフの「泊」とを結ぶ航路がこの場所にあったんだということを私達に伝えてくれます。
そんな稚泊航路が開設されていた稚内港は、北方交通の要衝として港の整備が急がれていたにも関わらず強風などの影響で工事が思うように進んでいなかったそう。そんな中で赴任してきた若い技師の方が航路を高波から護るための岸壁を設計して 3 ヶ月後の着工に間に合わせるようにと命じられ、生まれたのがこの防波堤とのこと。
設計を命じられたとき技師の方は 26 歳だったそうで、いまの私と同い年。いくら大学で学んできたとはいえ、急にそんな重要なものを任せられたプレッシャーはどんなだっただろうと想像してしまいます。
稚泊航路記念碑の隣には、稚泊連絡船へと接続する列車をけん引していた機関車の車輪が設置されていました。車両本体は塩害による老朽化のため解体されてしまったそう。C55 形という機関車だそうで、調べてみると 京都鉄道博物館 にその 1 号機が展示されているようでした。
近くには立派な船が停泊していて、訪れたときには「なんの船か分かんないけどかっこいいな~」とか思いながら見てました。後から調べてみると、どうも海上保安庁の巡視船「りしり」という船っぽい。たしかにちょっと見切れてるけど「JAPAN COAST GUARD」って書いてあるような…。
訪れた時間がやや遅めで、風もめちゃくちゃつよかったのであまり長居はできませんでしたが、立派なドームの下を歩くことができてよかったです。