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万博記念公園のEXPO’70パビリオンで55年前の万博の雰囲気を感じてきた

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ひらたけ

万博記念公園内にある 「EXPO’70 パビリオン」へ行ってきました🌸 現在絶賛開催中の 大阪・関西万博 から 55 年前の 1970 年、日本で初めて、そしてアジアで初めての国際博覧会がこの大阪の地で開催されました。この 日本万国博覧会の記念館 としてつくられた EXPO’70 パビリオンを訪れ、当時の雰囲気を感じてきました。


大阪モノレール に乗って万博記念公園駅へ。そこから高速道路の上を跨ぐ橋を渡り、中央口で「自然文化園・日本庭園」の入園券(260 円)を購入。かの有名な日本万国博覧会のシンボル 太陽の塔 を見上げながら入って右手側のほうへと歩いていくと、見えてくるのが今回訪れた「EXPO’70 パビリオン」という施設です。

オープンしたのは、15 年前の 2010 年。万博が開催されていた 当時の出展施設のひとつ「鉄鋼館」を利用 したもので、日本万国博覧会に関する様々な展示が行われています。

EXPO’70パビリオンの写真

建物の中へと入り、受付にて観覧券を購入。EXPO’70 パビリオンの常設展示を見て回ることのできる「パビリオン観覧券」が 500 円、それから訪れたタイミングで開催されていた企画展「プレイバック 1970 大阪万博と昭和レトロ」の観覧券が 800 円の、合計 1,300 円。お支払い方法は現金のみとなっていました。

館内の一部で、落下防止のため 専用のスマートフォンケース を装着しなければ撮影が不可となっている箇所があるそうで、こちらは 500 円でレンタルすることが可能のようです。それ以外の箇所は、映像展示以外は自由に撮影が可能とのこと。

EXPO’70パビリオンの展示の写真

万国博覧会とも呼ばれる万国博覧会は、1951 年に開催されたロンドン国際博覧会以降世界各地で開催されてきました。高度経済成長期真っ只中の 1965 年、大阪の地で 日本そしてアジアの国々で初となる万国博覧会開催 が決定。5 年というわずかな期間で準備が急ピッチで進められ、1970 年 3 月 15 日に開幕となりました。

日本万国博覧会は 「人類の進歩と調和」がテーマ として掲げられました。サブテーマには「よりゆたかな生命の充実を」「よりみのり多い自然の利用を」「より好ましい生活の設計を」「より深い相互の理解を」という、主題の「人類の進歩と調和」をより分かりやすく説明したものが設定されています。

EXPO’70パビリオンの展示の写真

国際博覧会の歴史やテーマについての解説などが展示されたエリアを通って先へと進むと、日本万国博覧会の貴重な資料が展示された赤い空間へと続いています。シンボルマークは桜をかたどったもので、5 つの花びらは世界の 5 大州(アフリカ・アジア・ヨーロッパ・アメリカ・オセアニア)を意味し、中央の円は日本の日の丸を表しているそう。

当時の入場券の価格は大人 1 枚 800 円。現在開催中の 大阪・関西万博のチケット(1 日券)が 7,500 円 ということを考えると非常に安い価格に見えますが、当時の日本の新卒初任給(全国平均)が大学卒で 31,200 円、高卒で 24,378 円ということを考えると、だいたい同じくらいの感覚だったのではないでしょうか。

会場内で建設ラッシュが始まる中、万博の前売り券が発売。前売り券は大人 1 枚 640 円で、初日だけで 62 万枚を売り上げたのだとか。

EXPO’70パビリオンの展示の写真

続いてやってきたのは、音楽堂の展示。この「EXPO’70 パビリオン」は、日本鉄鋼連盟出展のパビリオン「鉄鋼館」を利用したものですが、その 鉄鋼館の内部にあったのがこの音楽堂 だそう。

1,008 個ものスピーカーから流れる音楽とレーザー光線によるショーが行われた「スペースシアター」は、ホール全体が巨大な楽器にたとえられ、空間を夢幻の世界に誘ったのだとか。中には入ることができず外からガラス越しに見られるのみですが、スピーカーと思われるものがいたるところに配置されているのが分かります。

EXPO’70パビリオンの展示の写真

広い日本万国博覧会の会場には、この「鉄鋼館」をはじめとする数々のパビリオンが建設。日本の企業や団体だけでなく、世界各国がそれぞれ趣向を凝らした展示が行われていました。国による展示ばかりがあるのかと思っていたので、企業の展示があるのは少し意外でした。万博について無知すぎる。

参加パビリオンは全て合わせて 116 にも及び、建設費は 524 億円、運営費も 354 億円と莫大な費用がかかった日本万国博覧会。それまでの 国際博覧会史上初めて収支が黒字 となるほど多くの人が訪れ、海外の文化に触れることとなりました。

EXPO’70パビリオンの展示の写真

広大な会場内には、訪れた人々がスムーズに移動ができるよう動く歩道やロープウェー、モノレールや電気自動車などが用意。動く歩道は、この日本万国博覧会がキッカケで日本国内で普及したのだそう。

EXPO’70 パビリオン内には 当時存在していたそれぞれのパビリオンのパンフレット や、写真付きで 解説が書かれた展示 などが数多く並べられています。初めてのアジアでの開催にもかかわらず、これほどたくさんの国や団体がこの日本万国博覧会に共感して出展したのだということが、万博そして日本への注目度の高さを表しているようで胸が熱くなるような想いです。

EXPO’70パビリオン別館の写真

ここまで EXPO’70 パビリオンを見てきましたが、実はこの EXPO’70 パビリオンは 2023 年 8 月から別館が増設 されており、本館の展示の途中に別館へと向かう道が用意されています。続きの展示を見る前に別館をご覧くださいという案内が掲示されていたので、さっそく別館へと向かうことに。

入り口をくぐると、いきなり独特な雰囲気のある通路が続いていました。円を描く天井や側面には等間隔にライトが取り付けられ、赤や緑、青と色が変化し続けています。

EXPO’70パビリオン別館の展示の写真

別館の最初となる展示エリアには何体もの女性型のマネキンが並び、それぞれが様々な衣服を身にまとっています。日本万国博覧会では「ホステス」と呼ばれる女性たちが会場や施設の案内などを行っていたそうで、最先端デザインのファッションショーのように会場を彩ったとのこと。

各パビリオンごとにユニフォームが異なり、また夏服と春・秋とでも違いがある(冬は万博開催自体がない)ようで、それらのユニフォームを身にまとったマネキンが並べて展示されていました。

EXPO’70パビリオン別館の展示の写真

また、私のように収集癖的なものがある人間にはたまらないスタンプの展示も。パビリオンにはそれぞれ異なるデザインのスタンプが用意されていて、これをスタンプ帳に押して回るスタンプ集めが大人気だったそう。こんなの用意されたら全部集めるまで万博に通ってしまいそう。開催中の万博にも似たようなものがあるのかな?

EXPO’70パビリオン別館の展示の写真

階段をのぼって 2 階へと向かうと、目の前にドドンと現れたのはかの有名な太陽の塔、その 頂部に設置されていた「黄金の顔」 です。こちらは 1970 年の日本万国博覧会が開催されていたその時に太陽の塔の頂部に設置されていたもの。1992 年に行われた太陽の塔の改修工事の際、現在の顔に貼り替えるために取り外された正面部分にあたるものが展示されています。

太陽の塔にある 4 つの顔のうち最も高い位置にある「黄金の顔」は、未来を表す顔。2 階では、遠くからなら撮影が可能で、吹き抜けになっている部分の手すり近くで撮影する場合には落下防止のため専用のスマートフォンケースをレンタルした状態でないと撮影が不可となっていました。

EXPO’70パビリオン別館の展示の写真

やたら鮮やかな緑色の階段で 1 階へと下ると 直径 10.6m もの大きさを誇る「黄金の顔」 を下から見上げることができます。太陽の塔の「黄金の顔」をこれほど間近で見る機会というはなかなかないので、そのあまりの巨大さに驚き。

スチールに亜鉛メッキをした銅板に、当時最新技術であった塩化ビニール製マーキングフィルムが貼られているそう。雨風による劣化のおそれがあったため先述の改修工事で取り外されて、ステンレス鋼板に同じフィルムを貼ったものに交換されたとのこと。

最新技術を駆使してつくられた太陽の塔の顔から、さらなる技術の進歩が感じられるというのは、なんだか素敵な感じです。

EXPO’70パビリオンの展示の写真

再び独特な雰囲気の通路を通って、別館から本館へと戻ります。続いての展示は「テーマ館」という施設に関するもの。日本万国博覧会のシンボルともいえる太陽の塔は、このテーマ館の一部として母の塔、青春の塔、大屋根とともに建造されました。

テーマ館は地上、地下、空中と 3 層に分かれていて、会場を訪れた人々はメインゲートから北側に出た場所に広がる巨大な空間「調和の広場」から、「地下展示」を経て「太陽の塔」内部にあるエスカレーターで上へ。「太陽の塔」の右腕から「空中展示」のある大屋根内へと進み、「母の塔」のエスカレーターによって再び「調和の広場」に戻る…というような構成になっていたそう。

途中で「太陽の塔」の右腕から大屋根内へと移動することからも分かる通り、太陽の塔は高さ 40m ある大屋根を貫くようにそびえ立ち、左右に腕を広げていたようです。

EXPO’70パビリオンの展示の写真

さらに先へと進んでいくと、展示されていたのは超巨大な日本万国博覧会の会場全体の模型。驚くほど細かにつくられたこの模型は全て紙でつくられたペーパークラフトで、会場全体を 1/300 スケールで再現されています。

各パビリオンも非常に細かいけれど、日本庭園のエリアに植えられた木も 1 本 1 本細かく丁寧につくられているのが見て取れます。

ここまでに何度かパビリオンなどの模型が展示されてはいましたが、全体像があまりよく分からない感じがしていました。こちらの紙でつくられた模型は会場の全体が一望でき、このようにそれぞれのパビリオンが所狭しと並んで建てられていたのだなということがよく分かりました。めちゃくちゃすごい。

EXPO’70パビリオンの展示の写真

55 年前に開催された日本万国博覧会。訪れた 入場者数は 6,421 万 8,770 人 にも及び、これは 2010 年に開催された上海万博に抜かれるまで過去最高の記録となりました。開催日数が 183 日なので、平均すると 1 日に 35 万人ほどが訪れたことになります。

閉幕直前の 9 月 5 日には 1 日の入場者数 85 万 5,832 人 を記録し、当日は最終電車で帰ることができずに会場内で夜を明かした人も多くいたそう。現在万博記念公園として整備されているこの場所を実際に歩いてみるとかなりの広さがあることが分かりますが、それでも 85 万人もの人々が押し寄せたら身動きが取れなくなりそうです。

EXPO’70パビリオン企画展「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」の写真

ここまでが EXPO’70 パビリオンの常設展示で、これらがたったの 500 円で見られるというのは驚き。「自然文化園・日本庭園」の入園券を合わせても 760 円です。当時の熱狂ぶりが伝わってくる、非常に満足度の高い展示でした。

続いて向かうのは EXPO’70 パビリオンにて 期間限定で行われている「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」 という企画展。今年 2025 年 3 月 22 日から 8 月 3 日まで行われています。

EXPO’70パビリオン企画展「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」の展示の写真

入り口にて係の方に観覧券を提示して、さっそく中へ。大阪の地で開催された日本万国博覧会がいかに熱狂と興奮に満ちた 183 日間だったかを伝えるための説明もありつつ、メインは万博関連のアイテムや当時の暮らしぶりが分かるようなモノの展示。万博会場で販売されたお土産や、万博の宣伝ポスターらしきものなどがたくさん並びます。

太陽の顔をモチーフにしたお土産は万博グッズの中でも人気が高く、信楽焼で製作されたこちらは会場だけでなく百貨店でも販売されたそう。

EXPO’70パビリオン企画展「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」の展示の写真

昭和感あふれるどこかのご自宅の再現エリアのようなものもあり、あまりのリアルさに今すぐにでも奥の方から人が出てくるのではと思うほど。私は昭和の時代を生きていたわけではないけれど、不思議とどこか懐かしい雰囲気を感じます。

EXPO’70パビリオン企画展「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」の展示の写真

年季の入ったカップヌードルの自動販売機らしきものも展示されていて、見た目のボロさが実際に屋外に設置されて使われていたんだなということを感じさせます。使われている文字のフォントというか雰囲気がいかにも昭和レトロって感じでいいですよね。側面に貼られたサッポロビールのポスターがいい味を出しています。

EXPO’70パビリオンの写真

EXPO’70 パビリオンへ行ってきましたが、当時の雰囲気を感じられる展示を見ているとまるで自分が 55 年前の万博に行ってきた、と思うくらいワクワクした気持ちになりました。万博記念公園内には多くの人の姿がありましたが EXPO’70 パビリオン内はそれほど混雑しておらず、ゆっくり展示を見られたのも良かったです。

当時の人々が熱狂した万博が、今まさに再び大阪で開催されているということで、開催期間中に行ってみたいという気持ちになりました。