本能寺の変でも知られる法華宗大本山本能寺へ行ってきた
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戦国時代を生きた数多くの武将の中でも群を抜いて有名な人物、織田信長。その織田信長が、家臣であった明智光秀に襲撃され自害したとされる事件が「本能寺の変」で、その際に明智光秀が言ったとされる「敵は本能寺にあり」という言葉を知らない人はいないでしょう。
そんな歴史の転換点とも言える事件の舞台となった本能寺、名前は知っているけれど行ったことはないなということで 京都にある本能寺へ行ってきました⚔️
本能寺があるのは京都市営地下鉄東西線の 京都市役所前駅 を出てすぐの場所。元々は現在の場所よりも西のほうにあったそうで、1582 年に起きた 本能寺の変で消失後に豊臣秀吉の命で現在の場所に移転された のだそう。
本能寺はこれまでの歴史の中で何度も再建され、現在の本堂は 1928 年に建てられたもの。これは 1415 年に「本応寺」として開かれてから 7 度目の建立だそう。その間に 本能寺は 5 回もの火災に遭った ため、本能寺に使われている 「能」の字は火(ヒ)を嫌い右側が「去」のような形 になっているものが使われています。
実際に使われている「能」の字はパソコンでは入力ができないため、この投稿では「能」を使って書かせていただいていますが、これだけ何度も何度も燃えては建て直してを繰り返してきた歴史があるなら字を変えているのも納得です。
本能寺の変があったんだな~、ということくらいしか知識を持っていなかったので、このような歴史があるとは知らず驚きました。
寺町通のアーケードに面した本能寺の表門、国の登録有形文化財にも指定されているという総門から境内へと入ります。総門をくぐってすぐ右手側には 大寶殿宝物館 という施設があり、災禍をくぐり守り抜かれてきた書巻や寺宝、織田信長が集めた茶道具類などが展示されています。
大寶殿宝物館の隣を抜けて真っ直ぐ歩いた先に見える立派な建物が、日蓮大聖人の教えを弘める法華宗本門流の大本山である本能寺の本堂。全体的に黒っぽい色をしていて、なんだかカッコいい見た目です。
左右には大きな提灯のようなものが提げられ、それぞれに異なる紋が描かれています。向かって右側の提灯に描かれているのは「鶴の丸」という紋、左側の提灯に描かれているのは「丸に結び雁金」という紋のようです。
賽銭箱に貼られていた案内には「令和七年大本山本能寺信長公忌」の文字。本能寺では、本能寺の変で自害した 織田信長の命日である 6 月 2 日に「信長公忌」という信長公の命日法要 が行われており、当日は通常非公開の本堂内・寺宝などが一般公開されるのだそう。私が訪れたのはその前日の 6 月 1 日。本能寺の変が 6 月 2 日にあったということも知らず、偶然訪れていたので一人で目を見開いてました。
そのお隣には、お賽銭用の PayPay の 2 次元バーコード。今やお賽銭もキャッシュレスで投げ入れる時代です。
本堂の隣を抜けて奥へと進むと、そこにあるのは「信長公廟」と書かれた建物。奥には織田信長の墓があり、その石塔の下には信長が使用した刀が眠っているとのこと。信長の三男である信孝が本能寺を父である信長の墓所と定め、その時に建立したものだそうです。
もう少し近くでじっくり見たかったのですが、足元でデカい蜂のようなものをえっちらおっちらどこかへ運ぼうとしている蟻の集団がいて、虫が苦手な私はビビりすぎてしばらく身動きがとれなくなりそのまま退散。こちらにも PayPay の 2 次元バーコードが貼られていました。歴史を感じつつも現代的すぎるお墓だ…。
本能寺の変の舞台となった京都の本能寺へ行ってきましたが、なんとも厳かな雰囲気漂う場所で終始圧倒されっぱなしでした。国内外から訪れた多くの観光客であふれる京都ですが、その中でも比較的訪れていた人の数も少なめで、ゆっくり見ることができました。
全然詳しくなかった本能寺の歴史についても、実際に訪れて見て回ったりこの投稿を書きながら色々調べたりしていく中で少し知ることができたので良かったです。